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名古屋地方裁判所 昭和53年(ワ)2063号 判決

原告 R・K(仮名)

被告 国 ほか一名

代理人 岡崎真喜次 宮部享

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する昭和五三年四月一五日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  被告双方

主文同旨

2  被告国

仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は昭和三三年七月二二日生まれの男子で、朝銀愛知信用組合に勤務していたものであるが、昭和五三年四月一五日、午前八時二〇分愛知県北警察署において、別紙記載の暴力行為等処罰に関する法律違反の被疑事実により同警察署所属警察官に通常逮捕され、引続いて同月一七日から一〇日間勾留されて取調べを受け、同月二六日釈放された。

そして原告は、同月二八日、右被疑事実とは全く別の軽犯罪法違反の非行事実により家庭裁判所に送致され、同年七月一七日不処分とされた。

2  原告は、右被疑事実の犯罪行為を行つておらず、かつ右犯行日時には名古屋市内の頤和園で行われた上司の結婚式に出席し、祝儀金の整理をしていたというアリバイがあり、右アリバイは一〇名以上の目撃者及び八ミリフイルム等の証拠により明白であるにもかかわらず、愛知県北警察署所属警察官及び名古屋地方検察庁検察官(以下両者併せて「捜査当局」という。)は原告のアリバイ主張を無視し、直ちにアリバイ捜査を行うこともせず逮捕、勾留し、証拠によりアリバイが証明された後においても、漫然と勾留期間満了時まで勾留を継続したものであつて、本件逮捕、勾留は捜査当局の過失によつてなされた違法なものである。

3  原告は、本件逮捕、勾留当時、少年であつて、かつ、信用を重んずる信用組合の職員であるうえ、このように身に覚えのないことで突然逮捕、勾留されたことは初めての経験であり、その受けた精神的打撃は大きく、右精神的苦痛を慰藉するには金一〇〇万円が相当である。

よつて、原告は被告らに対し、国家賠償法一条一項に基づき金一〇〇万円及びこれに対する本件逮捕のあつた昭和五三年四月一五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否(被告ら)

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実中、原告を一二日間身柄拘束したことは認め、その余は否認する。

愛知県北警察署所属警察官(以下「担当警察官」という。)は、慎重な捜査を行い、その結果本件犯行現場に原告の指掌紋が存したこと、被害者が原告を犯人であると明言したこと等の事情により、原告に暴力行為等処罰に関する法律違反の罪を犯したと疑うに足りる相当な理由があるものと確信し、逃走ならびに証拠隠滅の虞れがあるものと考え、逮捕状を請求し、かつ発付された逮捕状を執行したものであり、右判断について担当警察官に過失はない。

名古屋地方検察庁検察官(検事横山鉄兵、以下「検察官」という。)が、昭和五三年四月一七日に行つた勾留請求は、原告を逮捕後二日経過した日に行つたもので、原告のアリバイ主張もその前日になされたに過ぎず、当該時点における嫌疑の程度、事案の性質、捜査の進捗程度等を検討して勾留の理由及び必要性があると判断したことに過失はない。

捜査当局は、原告を勾留した後、捜査を早期に完了すべく努力したが、原告のアリバイ主張に現われる関係者は多数にのぼり、その裏付捜査及び原告に関係すると考えられる物的証拠の調査等のため、勾留期間満了の日に至るまで処分を決し得なかつた。従つて、勾留期間満了まで、原告に勾留の理由、必要性が存するものと判断した点に過失はない。

3  同3の事実中、原告が本件逮捕、勾留当時、少年であつたこと、原告が逮捕勾留されたことは認め、その余は争う。

第三証拠<略>

理由

一  請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

二  そこで、本件逮捕、勾留が違法であるか否かについて判断する。

1  一般に捜査当局が、ある被疑事実について被疑者を逮捕、勾留し、その間被疑者及び関係人の取調べ等の捜査を行い、証拠の収集にあたつたにもかかわらず、最終的には被疑者の嫌疑が全く認められず、あるには公訴提起または家庭裁判所への送致をするに足りる証拠を収集できなかつたとの結論に達したからといつて、直ちに右逮捕、勾留が違法となるわけではない。

しかし、他方被疑者の逮捕、勾留は、被疑者の身柄拘束等被疑者に重大な不利益をもたらす処分であることを考えれば、右逮捕、勾留が刑事訴訟法に定める手続を適法に経ているからといつて、直ちに捜査当局がすべての点において免責されるとはいえない。

それ故に、事後的に審査した結果、捜査当局として、事案の性質上当然なすべき捜査を怠り、あるいは捜査により収集した資料の判断、評価を誤る等捜査当局に社会通念上著しく妥当性を欠く事情が存在し、それによつて刑事訴訟法に定める逮捕、勾留の要件がないのにもかかわらず、逮捕、勾留をなしたと認められる場合には、右逮捕、勾留は違法であると解すべきである。

2  まず、本件逮捕につき、原告主張の違法事由の存否を判断する。

(一)  <証拠略>によれば、以下の事実が認められる。

(1) 昭和五三年四月一〇日午後一時三〇分ころ、名古屋市北区平安通一丁目一〇番地地下鉄平安通駅女子便所において、訴外A(当時一八歳、以下「被害者」という。)が何者(男)かによつて、ナイフを突きつけられ、タオルでさるぐつわをされる等の暴行を加えられ、さらに「静かにせよ、俺はこわいんだ。騒ぐと殺すぞ。」等と脅迫された、という事件が発生した。

(2) 担当警察官は直ちに捜査を開始し、訴外武田敏郎北警察署刑事第一課長の指揮のもとに、現場検証、鑑識活動等を行つたところ、本件犯行現場である女子便所(南側から二つ目の用便ボツクス)のドアと南側仕切壁から指掌紋七個を発見し、その指紋を肉眼で観察すると、分泌物が濡れたように見え、極めて新しいものと判断して、これを採取し、また犯人の遺留品と思われる中古電気コード一本、血痕の付着した中古タオル一本を発見し、これを領置した。

担当警察官は、右採取した指掌紋について保管中の指紋との対照を依頼し、右中古タオルについていた血痕について、人血か否か及びその血液型の鑑定嘱託をした結果、昭和五三年四月一三日、前記便所内の南側仕切壁から採取した前記指掌紋の内、一つが原告の指掌紋と一致し、原告には窃盗の前歴があることが判明し、また前記タオルに付着の血痕は人血で、その血液型はA型であるとの結果を得た。なお原告の血液型もまたA型であることは勾留後の同月二一日確認された。

さらに同月一三日被害者は担当警察官から原告の顔写真を見せられて、頭髪の相違を指摘しながらも、目、口、唇の特徴を根拠に犯人であると供述した。

そこで、担当警察官は原告の身辺捜査を行つたところ、原告には父親がなく、母親と兄、妹の四人家族であつて、独身らしいことが判明したが、職業については不明であつた。

以上の判明した事実をもとに、担当警察官は、原告が本件犯行を犯したことを疑うに足りる相当な理由があると判断し、かつ凶器及び犯人の着衣が発見されていないこと等を考慮し、逃亡及び罪証隠滅の虞れもあると判断して、昭和五三年四月一四日、名古屋簡易裁判所裁判官に対して、別紙被疑事実により原告の逮捕状を請求し、同日右逮捕状が発付された。

(3) 担当警察官は、翌一五日早朝、原告住所地で母親から聴取した原告の勤務先である朝銀愛知信用組合大曽根支店に赴き、同所において原告に任意同行を求め、北警察署へ連行し、同日午前七時半ころから事情聴取を行つた。

その際、原告は、同年三月中頃に一度、女性の用便の様子を見るため、本件犯行現場である地下鉄平安通駅の女子便所へ入つたことはあるが、本件被疑事実は全く身に憶えがなく、その日時には、仕事が忙しく、得意先を回つていた、と供述した。

しかし、担当警察官は同日午前八時二〇分、右逮捕状を執行して原告を逮捕した。

原告は、逮捕後、取調べを受けたが、その際、被害者が透視鏡を通して原告を見て、本件犯行の犯人であると担当警察官に供述した。

原告は、同日の取調べが終えた後の午後七時ころ、北警察署留置場において、本件犯行のあつた日時には上司の結婚式に出席していたことを思い出し、その旨を担当警察官を呼んで申し述べたが、翌日検察官に述べるようにいわれたので、それ以上詳しい内容を申し述べることをしなかつた。

担当警察官は、翌一六日、本件事件を名古屋地方検察庁検察官に送致した。

以上のとおり認められ、右認定に反する証拠はない。

(二)  違法な逮捕が警察官によつて行われた場合には、特にそれが検察官の指揮または助言、示唆等に基づいて行われたと認められるような事情がない限り、検察官がその責を負う理由はなく、従つて、国も当該逮捕についての責任を負ういわれはないと解されるところ、本件において、前項で認定したとおり、原告の逮捕状を裁判官に請求し、その発付を得て、右逮捕状を執行したのは、担当警察官であり、本件捜査及び逮捕について、担当警察官から送致されるまで、検察官が関与していたことを認めるに足る証拠はない。

従つて、本件逮捕について、その違法性を主張して、被告国の責任を追求する原告の主張は採用できない。

(三)  そこで、被告愛知県に対する本件逮捕が違法であるとの主張について判断する。

被疑者を逮捕するについては、「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」のあることが必要とされ、従つてその嫌疑はそれ自体合理的、客観的な根拠を有するものでなければならないが、その程度は有罪判決の事実認定に要求される合理的疑いを超える程度の高度なものである必要性はなく、また公訴を提起するに足りる程度の嫌疑までも要求されるものでもない。

そこで本件につき右見地に立ち、担当警察官が、逮捕時において、原告に別紙被疑事実を犯したことを疑うに足りる相当な理由があると判断したことの相当性につき検討するに、前認定のように、本件犯行現場は女子便所という、通常男性の出入が殆んど予想されない場所であつて、そこの壁から原告の指掌紋が発見され、しかもそれは肉眼の観察ではあるが、ごく新しいものと印象づけられるものであり、かつ、被害者が原告の顔写真を見たうえ具体的に特徴を挙げて犯人であると供述しているのであるから、本件犯行についての原告に対する嫌疑は相当濃厚なものである。

もつとも、<証拠略>によれば、被害者は犯人の身長が約一七二センチメートルであつたと供述したのに対し、原告の身長は一八〇センチメートル以上あることが認められるが、突然襲われた被害者において正確に犯人の身長を認識することは通常期待できないことであるから、この程度のくい違いをもつてしては、原告の嫌疑が大きく薄らぐものではないし、また逮捕状を執行した段階では、原告は未だ後に述べるような具体的なアリバイを主張しておらず、当時はただ前認定のように得意先を回つていたという、甚だ漠然として特定性に欠け、従つてその裏付捜査を期待できないアリバイを申し述べていた程度であつて、かかる供述はそれ自体反対証拠としての価値に乏しいものである。

従つて、右段階で原告が別紙被疑事実の罪を犯したと疑うに足りる相当な理由があると担当警察官が判断したことは、社会通念上肯首しうる妥当なものというべく本件逮捕状の請求及び逮捕状の執行について、原告主張のような違法事由があると認めることはできない。

しかして逮捕後においては、前認定のように被害者は透視鏡を通して、対面した原告が犯人であると詳細、明確に供述し、さらに原告に不利な証拠が加えられたのに対し、原告は本件犯行を否認しているものの、犯行現場から採取された原告の指紋については約一か月も前にのぞき目的で入つた時のものであろうと弁明するのみで、具体的かつ詳細なアリバイ主張もしておらず、特に原告に対する嫌疑が薄らいだと認める事情もないから、逮捕後留置を継続した点に違法事由があつたとは認められない。

3  次に、本件勾留について、原告主張の違法事由の存否を判断する。

(一)  先ず本件勾留請求について検討する。

<証拠略>によれば、以下の事実が認められる。

検察官は、昭和五三年四月一六日、担当警察官から送致を受け、同日、原告を取調べたところ、原告は本件犯行のあつた日時には名古屋市中村区広小路西通一丁目二〇番地所在頤和園で挙げられた上司の結婚式に出席していた旨を供述した。

しかし、検察官は、送致された捜査記録及び原告の右供述を検討した結果勾留の理由及び必要性があると判断して、翌一七日名古屋地方裁判所裁判官に対して別紙被疑事実により勾留請求を行い、同日勾留状の発付を受け、これを執行した。

右のとおり認められ、右認定に反する証拠はない。

右認定事実に前記二2(一)の認定事実をあわせ総合すると、勾留の理由については、前記二2(三)で判断したとおり、客観的かつ合理的証拠により、その嫌疑が相当程度認められる。もつとも罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があるというためには、被疑者が当該犯行を犯したことを積極的に肯認させる資料があるというだけでは足りず、若しアリバイのような被疑者が犯行を犯したものでないことを窺わせる反対資料が存するときは、右反対資料自体の検討をも含めて、右資料による吟味に耐えられるものでなければならない。しかし、本件においては、前認定のように原告から一応明確な内容をもつたアリバイ主張がなされたのは勾留の直前においてであり、しかも原告の犯行を窺わせる前記指紋及び被害者の供述等の資料が有する証拠価値との対比において、原告の前記アリバイ供述を検討すると、その供述内容の裏付捜査等による吟味を経ることなしに、その供述を直ちに信用しうるものではないから、勾留の理由は存した、と認められる。

従つて、本件勾留請求及びその執行については、これを事後的に判断しても、検察官による捜査の怠慢、捜査資料の判断、評価の誤り等、社会通念上著しく妥当性を欠くものがあつたとはいえず、したがつて本件勾留請求及びその執行に原告主張のような違法事由があるということはできない。

(二)  次に、検察官が、原告を勾留期間満了時まで勾留を継続した点について検討する。

(1) 被疑者勾留の段階において、被疑者及び関係人がアリバイを主張し、右アリバイについて捜査当局が通常の職務上の注意義務を尽して捜査をしたならば、直ちに被疑者の嫌疑が氷解したであろうと事後的に判断できるにもかかわらず、捜査当局があえて右アリバイ主張を無視して勾留を継続した場合、またはアリバイ主張に基づく捜査を行つたが、その収集された証拠の判断、評価の誤り等により社会通念上嫌疑が存しないと判断しうるにもかかわらず、勾留を継続した場合等には、アリバイ主張について捜査をなすに必要と認められる期間後の勾留、または正しくアリバイ証拠を判断すれば嫌疑が存しないと判断しえた時期以後の勾留は違法とされることもありうる。

(2) そこで、本件についてみるに<証拠略>によれば以下の事実が認められる。

ア 原告は、昭和五三年四月一七日、勾留状を執行され、北警察署に留置され、取調べを受けたが、同月二三日までの原告の供述の要旨は次のとおりである。

原告は、同年三月中旬過ぎの日曜日、午前一一時ころ、地下鉄平安通駅の女子便所へ女性の用便の様子を見に入つたことがあり、その際、五箇所ある用便場所のすべてに入り、仕切壁及びドアに手をついて、隣の用便場所をのぞこうとしたことがある。しかし、女性に暴行したことはなく、また本件犯行のあつた同月一〇日は、午前七時五〇分ころ、朝銀愛知信用組合大曽根支店に出勤し、訴外金鐘吾と上司の結婚式に出席するため午前一一時三〇分までに右支店に戻つてくることを約束したうえ、午前一〇時過ぎに右支店を出て、訴外福田政夫方へ預金の集金に行き、午前一一時ころ右支店に戻つた。訴外金鐘吾は午前一一時半ころ右支店に戻つてきたが、レストラン「ニユー河内」へ現金を届けるため結婚式に出席が遅れるというので、原告は訴外朴誠一と二人で清水駅前の「楓」という喫茶店で訴外金鐘吾と待合わせることにして右喫茶店へ赴いた。原告はそこで訴外金鐘吾と落合い、二人で頤和園へ行き、午後一二時二〇分ころ式場に到着し、結婚式に出席したが、引きつづいて行われた披露宴には途中で訴外催光一に指示されて受付を手伝つたため中座したが、右式場には午後二時三〇分ころまでいた。その後は、訴外金鐘吾と喫茶店に立寄り、午後四時ころ勤務先の朝銀愛知信用組合大曽根支店に戻つた。

イ 捜査当局の捜査状況は次のとおりである。

同月一七日は、名古屋地方裁判所における勾留質問終了後、北警察署において担当警察官が原告を取調べた。

同月一八日、担当警察官は、原告の取調べと並行して、原告からだ液を採取し、血液型の鑑定を嘱託した。

同月一九日、担当警察官は原告を取調べ、また原告の使用している自動車の捜索を行い、凶器及び犯行時の着衣の発見につとめたが発見できなかつた。アリバイ捜査として、担当警察官は頤和園の支配人訴外任海傑を取調べたところ、本件犯行日時に原告が頤和園にいなかつた旨の供述を得た。

同月二〇日、担当警察官は原告の取調と並行して、本件犯行場所の清掃状況を聞くため、清掃婦から事情を聴取したところ、同年三月六日から本件犯行日まで指紋採取箇所の壁を一度も清掃していない旨の供述を得た。また同日、訴外李景治、同催光一が北警察署を訪れ、原告のアリバイ主張に副う供述をしたうえ、右催光一作成の上申書を担当警察官に提出した。

同月二一日、検察官は、被害者を取調べ、担当警察官に対する供述内容と同旨の、犯行時犯人の顔をみたこと、写真及び透視鏡越にみた原告が犯人であることはすぐわかつた趣旨の供述を得た。担当警察官は、原告の取調べと並行して同人の勤務先のロツカー、机等を捜索したが、凶器及び犯行時の犯人の着衣を発見できず、また本件犯行現場の指紋採取した壁の材質を調査するとともに指紋の時間的経過とその鮮明度について調査し、その結果、指紋の付着に大きく影響するものは汗腺孔から出る分泌物であり、この分泌物の九九パーセントは水分であり、残り一パーセントが脂肪、蛋白、塩分、尿素等であつて、時間の経過とともに分泌物が乾燥し、アルミ粉末等の付着率が小さくなり検出される指紋が不鮮明となることが判明した。また、原告のだ液の鑑定結果がでて、本件犯行現場に遺留していたタオルに付着していた血液とその型(A型)が一致した。

アリバイ捜査として、担当警察官は、勤務先の同僚や上司である訴外金鐘吾、同催光一、同沈在連、同申正順を取調べ、原告の主張に副う供述を得たが、原告が結婚式に行く途中立寄つた喫茶店「楓」のウエイトレス訴外大沢まゆみを取調べたところ、原告の主張とは異なる服装で、かつ一人で来た旨の供述を得た。

同月二二日、担当警察官は、原告を取調べ、また原告の着衣について、理容店、美容院、銭湯において、関係者から事情聴取した。アリバイ捜査として、担当警察官は、集金先の訴外福田浩子、勤務先同僚の同朴誠一を取調べ原告の主張に副う供述を得、また訴外金鐘吾が結婚式の出席前に立寄つたと主張するレストラン「ニユー河内」の経営者の妻訴外成雪子からも原告の主張に副う供述を得た。

さらに同日、弁護人石川智太郎から担当警察官に、前記結婚式に出席した訴外張基相がその模様を撮影したという八ミリフイルム一巻が提出され、その際同弁護人に同行してきた原告の上司金万守がその撮影状況を供述し、原告が写つている旨申し述べて、これを担当警察官の前で映写したので、これを検分したが、原告の姿は不鮮明で写つている部分もわずかでしかなく、原告であることをにわかに断定し難いものであつた。訴外金万守は、後日、右八ミリフイルムの内、原告の写つている部分を拡大した写真を担当捜査官及び検察官に提出したが、右写真もまた鮮明でなく、原告であることを確認しがたいものであつた。

同月二三日、担当警察官は原告の取調べを行い、原告のアリバイ主張について詳細な供述調書を作成し、また前記レストラン「ニユー河内」の経営者訴外催得海を取調べ、原告のアリバイ主張に副う供述を得た。

同月二四日、担当警察官は原告のポリグラフ検査を行つたところ、原告は本件犯行に関係ある事項について敏感に反応し、本件犯行を行つたと疑われる徴候を示した。検察官は、原告を取調べ、本件犯行場所である女子便所に侵入した点について供述を得た。また、指紋の鮮明度の経時的変化についての実証調査結果が担当警察官に提出され、その結果、温度二〇度、湿度二五パーセントのもとで一時間経過ごとに指紋隆線に付着するアルミニユーム粉末の程度を観察すると、時間の経過とともにアルミニユーム粉末が付着しにくくなることが判つた。アリバイ捜査として、担当警察官は、原告が本件犯行日に集金に行つたとするガソリンスタンドの所長訴外間島秋夫を取調べたが、その供述は曖昧なものであつた。

また同日原告の弁護人大矢和徳から検察官に対し結婚式の写真六枚が提出された。右写真には原告の後姿または横向きの姿しか写つていないが、ほぼ原告と確認しうるものであつた。

同月二五日、担当警察官は、本件犯行現場に遺留されていた電気コード及びタオルの出所について捜査を行い、本件犯行に供した凶器及び犯人の着衣についてコインロツカーの捜索を行い検察官は、原告を取調べた。アリバイ捜査として、担当警察官は、頤和園において、本件犯行時の結婚式について聞込み捜査を行い、またアリバイ証拠として提出された写真及び八ミリフイルムの現像を取次した高木カメラ店の経営者訴外高木晋を取調べ、飲食店味好苑の経営者訴外銭舜子を取調べ、本件犯行日の午後八時ころ、原告が同僚らしい人と来店し、食事をしながら、その日に結婚式に出席した旨の話をしていた、との供述を得た。他方同日取調べた訴外大口比佐子からは本件犯行日に原告が集金に来なかつた旨の供述を得た。

同月二六日、担当警察官は、原告を取調べ、遺留品のタオルについて知らない旨の供述しか得られず、検察官も原告を取調べて、本件犯行現場に同年三月中旬、侵入した時のこと及び窃盗の前歴について供述を得た。アリバイ捜査として、担当警察官が訴外柳沢康子を取調べ、本件犯行日に原告が集金に来たが、その時間は記憶がない旨の供述を得た。

そして同日、検察官は、原告を処分保留のまま釈放した。

同月二七日、担当警察官は、頤和園と本件犯行場所の移動時間を計測し、徒歩及び地下鉄を利用して往復一時間かかるとの結果を得た。

ウ 原告の弁護人は、同月一八日名古屋地方裁判所裁判官に対して、本件勾留の取消請求を行つたが、同月二一日却下決定がなされ、同弁護人は同月二四日右決定に対し、準抗告を行い、訴外金鐘吾、同権泰潤、同催光一の各供述調書及び八ミリフイルム並びに右フイルムを焼付けた写真を提出したが、翌二五日右準抗告は棄却された。

以上のとおり認められ、右認定に反する証拠はない。

(3) 以上の認定事実に前記二2(一)、3(一)の各事実を併せ総合して、原告の勾留を勾留期間満了まで継続した点に違法事由が存するかどうかを検討する。

本件犯行における原告に対する嫌疑は、前認定のように本件犯行現場における原告の指紋及び被害者の前記供述によつて、本件勾留の当初から裏付けされたものであるが、さらに本件勾留後においても、同月二一日には、遺留品のタオルから検出された血液の型が原告のものと一致することが判明し、また同日、本件犯行現場から採取された原告の指紋が鮮明であるため、極最近付着したものと考えられる旨の調査資料が提出され、さらに同月二四日には、原告に対するポリグラフ検査結果においても本件犯行との関係を疑わしめる徴候が認められるなどその嫌疑を根拠づける証拠は捜査が進むにつれて増えてきた。

しかして捜査当局は、原告の前記アリバイ主張については決してこれを無視したわけでなく、原告からその点の詳細な供述を得る一方、担当警察官は、原告の詳細なアリバイを述べた供述調書が作成された同月二三日以前からアリバイの裏付け捜査を行い、右主張に副う証拠を同月二二日までに収集していたが、他方、右主張とは合致しない証拠(<証拠略>)も右同日までに収集していたのであり、また右アリバイ主張に符合する証拠の多くが供述証拠であつたため、その信用性についても捜査検討する必要があつた。

なお、アリバイ証拠として、本件犯行日に撮影したという八ミリフイルムが同月二二日に担当警察官に提出され、また同月二四日本件犯行日に撮影したという写真が検察官に提出されたが、右八ミリフイルムの映像は不鮮明で写つている人物が原告とは容易に識別し難く、また右八ミリフイルム及び右写真は、いずれも供述証拠(例えば撮影の日時)に補強されて初めてアリバイ証拠としての価値が存するものであり、その物証自体の信用性のみならず、その物証に関する供述証拠の信用性も検討を要するのである。

すなわち、同月二四日までの段階では、原告に対する捜査により、嫌疑を根拠づける証拠とアリバイを裏付ける証拠が日を経過するにつれて、それぞれ収集されてきたのであるから、捜査当局としては直ちに一義的な判断を下すことができず、さらに各証拠についてその信用性を調査、検討し、それぞれの証拠を比較対照し、各証拠の価値を慎重に評価したうえでなければ原告の嫌疑の有無を判断できない状況にあつた。

そこで、捜査当局は、同月二四日以降、原告のアリバイ捜査に重点を置いて、右同日までに収集されたアリバイ証拠について、その信用性を検討する資料等を収集し、それらを比較対照した結果、同月二六日検察官は原告のアリバイを一応肯認しうると判断して、原告を釈放したのである。

なお、原告は捜査当局がアリバイ捜査を迅速に行えば短期間で原告の嫌疑を氷解し得たはずであると主張する。しかし前認定のように原告、関係人らの各供述その他証拠にくい違いや不明暸なところが少なくないし、とくにアリバイについてはその裏付のため取調べを見込まれた関係人が多数であつて、それらの供述内容を詳しく吟味する必要があつたこと、その他前認定の事実関係を考慮すると、捜査当局がその真相を把握するために、前記アリバイ写真が提出された同月二四日後においても原告の勾留を続け、同月二六日に至つてはじめて原告を釈放したことは、やむを得ないものであつて、そのアリバイ捜査について通常の職務上の義務を怠りアリバイ証拠の収集を著しく遅延したと認めることはできず、原告の主張は理由がない。

従つて、本件勾留を継続した点について、捜査当局に捜査を怠り、あるいは収集された証拠、資料の判断、評価を誤る等の社会通念上著しく妥当性を欠くものがあつたとは認められず、本件勾留の継続を違法であると評価すべき理由はない。

(三)  以上の次第であるから、本件勾留は、その請求時においては無論のこと、勾留期間満了時までになんら違法はないというべきであり、これが違法であるとの原告の主張は理由がない。

三  以上説示のとおり、原告の本訴請求は、その余について判断するまでもなく理由がないから、これを棄却し、民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田辺康次 合田かつ子 西田育代司)

被疑事実

被疑少年は昭和五十三年四月十日午後一時三十分ころ名古屋市北区平安通一丁目十番地地下鉄平安通駅女子便所へ用便に来た学生A十八歳に所携のナイフを突きつけたりさるぐつわをする等の暴行等を加え更に同人に対して「静かにせよ俺はこわいんだ騒ぐと殺すぞ」等と申し向け同人の生命身体に危害を加えるべきことを告知しもつて凶器を示して脅迫したものである。

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